昭和2年に人口約3万人で誕生した磯子区は、高級住宅地・海水浴場・漁業・ノリの養殖等で知られていました。当時の海岸線は、ほぼ現在の国道16号に沿うところにありました。
昭和23年に金沢区が分区。34年に始まった根岸湾の埋め立てにより、臨海部は京浜工業地帯の一翼を担うようになりました。また、JR根岸線の延伸に伴い丘陵部の開発が進み、30年代から40年代にかけて人口が急増しました。
こうして磯子区は、古くからの町並みと高度経済成長期に開発された新興住宅地、そして臨海部の工業地帯と緑豊かな丘陵地・斜面緑地といった多様性を持つ区へと成長してきました。
磯子区は市域の東南に位置する南北に細長い形状になっています。根岸湾に面した海岸部分の平地とそれを囲む丘陵地からなり、その境には斜面緑地が点在しています。
また、南部の峰・氷取沢には市内でも有数の大規模な緑地が広がっています。
平成15年8月、「磯子区まちづくり方針」(横浜市都市計画マスタープラン・磯子区プラン)を定め、概ね20年後の将来を見据えたまちづくりの目標を「水と緑に抱かれた 人にやさしい快適な街」としました。この目標は、磯子区を特徴づける海、堀割川、大岡川などの“水”と、連なる斜面緑地、円海山を中心とする広大な緑地などの“緑”を将来に向けて継承していくとともに、そこに暮らすだれもが安心して便利で快適に暮らすことができるまちづくりの方向性を示しています。
水と緑の拠点としては、平成22年4月に、「杉田臨海緑地」が一部オープンし、区民を中心とした委員会等で管理・運営を行っています。また、堀割川においては、区民等による堀割川の日イベントやパネル展などが活発に行われています。
平成24年度は10月1日に区制85周年を迎えました。磯子区がいつまでも魅力あるまちであり続けるよう、商店街の振興や文化活動の支援、「磯子の逸品」の普及など、にぎわいと魅力あふれるまちづくりに取り組んでいます。
さらに、誰もが安全で快適に暮らせるまちづくりを進めるため、鉄道乗降客数や不特定多数の利用者のいる施設などが多い「杉田駅・新杉田駅周辺地区」のバリアフリー基本構想策定に向けた取組が行われています。
(出典 横浜市市民局 18区の紹介)