慶長6(1601)年、東海道に宿駅の制度が定められた際、江戸から4番目の宿場として、東海道保土ケ谷宿が誕生し、以来、保土ケ谷は江戸時代を通じて交通・経済・文化の要所としてにぎわいました。
明治に入ると東海道線「程ケ谷駅」が開業、帷子川下流域に工場が進出し、内陸の工業地帯として発展しました。
昭和2年4月に、橘たち樹ばな郡保土ケ谷町、都筑郡西谷村が横浜市に編入され、同年10月に人口38,118人で保土ケ谷区が誕生。その後、高度経済成長による人口急増のため、昭和44年に旭区を分区し、現在の姿となりました。平成19年10月1日には、区制80周年を迎えました。
保土ケ谷区は、横浜市のほぼ中央に位置し、帷子川と今井川が流れ、鉄道や道路の通る低地と、それらを取り囲む丘陵地からなる起伏に富んだ地形です。川や鉄道に沿った低地部は、駅を中心に市街地を形成し、丘陵部は落ち着きのある成熟した住宅地となっています。
このような状況から、相鉄線連続立体交差事業や神奈川東部方面線の整備など交通の利便性向上のほか、浸水やがけ崩れなどの災害防止対策、狭あい道路の整備と歩行者空間の確保による交通安全対策、防犯対策など、安全・安心・快適な暮らしを支える取組が求められています。
また近年は核家族化や少子高齢化が進み、地域のコミュニケーションが希薄になる中で、身近な地域での福祉、子育てや区民利用施設の充実など、地域のつながりを強化することが重要になっています。
さらに、市の中心部に近い立地にありながら、水や緑などの自然環境に恵まれており、帷子川沿いの「水の軸」、区の西部に残された緑を南北に結ぶ「緑の軸」、旧東海道沿いの「歴史の軸」として「水と緑と歴史のトライアングル」を構成し、貴重な地域資源となっています。
(出典 横浜市市民局 18区の紹介)