神奈川区は、今から約85年前、昭2年の横浜市区制施行により誕生しました。
鎌倉時代から神奈川湊としてにぎわい、江戸時代には東海道の宿場町「神奈川宿」として栄えるなど、古くから交通の要衝として発展するとともに、幕末には開国の舞台となり、寺院などに各国の領事館や公使館がおかれました。
明治時代後半から海面の埋立てが始まり、埋立地に多くの工場や事業所が進出して、京浜工業地帯の一角へと発展しました。関東大震災や第二次世界大戦中の横浜大空襲などでは沿岸の市街地を中心に大きな被害を受けましたが、その度に復興への取組が続けられました。戦後は、内陸部を中心に、商店街の復興や住宅地の開発が進み、現在のようなまちなみが形成されてきました。
神奈川区は、横浜市の都心臨海部と新横浜都心の一角を占めており、多くの鉄道駅が存在し、いずれの都心へもアクセスしやすい好立地にあります。現在、JR線、京浜急行線、東急東横線、市営地下鉄ブルーラインの14の駅があり、さらに、相鉄線西谷駅から羽沢駅(仮称)を通り、新宿方面、渋谷方面へ接続する神奈川東部方面線事業が進められています。
東部には埋立地、西部には丘陵地が広がり、その間に丘と平地が点在するという起伏に富んだ地形となっており、こうした地形的な特徴やまちの成り立ちなどから、大きく「臨海部」「内陸部」「丘陵部」の3つの地域に分かれ、それぞれに多様な姿をみせています。
「臨海部」では、埋立地などに工場や事業所などが多く立地し、「内陸部」では、起伏のある地形に住宅地が広がっています。「丘陵部」では、緑地や農地が多く残り、キャベツなどの栽培が盛んに行われています。
これまで、臨海部を中心としたマンション建設が進んだことなどから、人口が増加する傾向にありましたが、平成24年に入り、人口が減少に転じました。神奈川区では若い世代の転出入が多く、生産年齢人口(15~64歳)の割合が市平均と比べて高い傾向にありますが、65歳以上の人口比率は年々高まっており、高齢化率が30%を超える地域もあるなど、今後、高齢化の進展が予想されています。
「臨海部」では、埋立地などに工場や事業所などが多く立地し、「内陸部」では、起伏のある地形に住宅地が広がっています。「丘陵部」では、緑地や農地が多く残り、キャベツなどの栽培が盛んに行われています。
また、近年では、再開発の進展や都心回帰の影響を受け、臨海部を中心に集合住宅の建設などが進んでいることにより、人口が増加する傾向にあります。
(出典 横浜市市民局 18区の紹介)