2022.04.23
昨年12月に開催予定だった「第24回夏季デフリンピック競技大会」はコロナ禍で延期となり、この5月1日より15日間にわたってブラジルのカシアス・ド・スル(Caxias do Sul)で開催されます。
デフリンピックは、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD/本部アメリカ)主催の聴覚障害者の総合競技大会。1924年パリで始まり、オリンピック(=IOC)から名称使用を許され2001年ローマ大会からデフリンピックの名称となりました。夏冬4年に1度ずつ開催されパラリンピックより歴史が長く、前回大会は21競技に約3100人の選手が出場しました。国際手話を公用語としてコミュニケーションが行われています。
横浜市での激励会に出席したのは、自転車競技にデフリンピック3大会連続出場する早瀬憲太郎選手、早瀬久美選手と、男子ビーチバレーボールで2大会目の竹村徳比古選手(ほけんの窓口グループ)、陸上競技・棒高跳びの滝澤佳奈子選手(MSD)の4選手と自転車、陸上、卓球、女子バレーボールの競技スタッフ5名で、奨励金と記念品・花束が贈られました。
山中市長は「ご出場おめでとうございます。横浜市庁舎へお越しいただきありがとうございました。いろんな国の皆さんとの友好を深めていくと同時に大会を大いに楽しんできていただけると嬉しく、サポートする側としても誇りに思います!」と、激励の言葉をのべ、横浜在住の選手たちがどこでどのように練習しているのか、仕事はどうしているのかなど、地域社会と関わるところでどう競技に取り組んでいるのか質問が行われました。
「薬剤師の仕事と両立しています。朝早く起き、自宅でローラーを漕いでいます。(山林で行う)マウンテンバイクの練習は、三浦半島や秦野へ行っています。今大会はさらに上のメダルを目指します」と、答えました。
「(所属の)ほけんの窓口で競技に専念することができ、八景島などで練習しています」と話していました。
「コロナ禍の影響で練習場所の確保に悩みました。棒高跳び専用の練習場は少なく、たまたま横浜国立大のグランドが近くて使わせてもらっていました。しかし、コロナになってからは閉鎖されてしまい、跳ぶ練習ができず基礎練習などをしていた」と、状況を伝えてくれました。
前回サムスン大会(トルコ・2017年)で金メダルを獲得した女子バレーボールは、前回4位のウクライナとの初戦が5月4日16時半(日本時間21時半ごろ)に予定されており、横浜から21歳の長谷山優美選手と、手話通訳の岡田直樹さんの2名が参加します。
今年2月に勃発したロシアとウクライナの戦争で、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)はロシアとベラルーシの試合をカレンダーから当面除外することにしました。
一方で、ウクライナ選手団へはデフリンピックに参加する各国の競技団体から資金や練習場所の提供、渡航支援などが寄せられ、バレーボールチームもイタリアの支援のおかげで出場できるようです。
「前回ウクライナは4位という結果でしたが、前々回ソフィア大会(ブルガリア・2013年)では優勝した強豪国です。楽しみです」と、岡田さんはウクライナとチームの試合を見据えていました。
しかしながら、女子バレーボールチームのような金メダリストでありながらデフリンピック選手をサポートするスポンサーの割合は低く、実際は選手一人当たり15〜20万円の自己負担が生じています。
多くのデフリンピック日本代表選手や競技団体がクラウドファンディングサイトを立ち上げ寄付を募っているほか、厳しい現状のなかで出場を諦める選手もいるということです。
横浜では、パラ水泳のトップ選手が集まる全国大会が毎年横浜国際プール(都筑区)で行われています。身体にさまざまな障害のある選手、知的障害のある選手とともに今大会主将に選ばれた茨隆太郎選手(神奈川県平塚市)や金持義和選手(大阪府堺市)も競い合い、パラリンピックの知名度の後押しもあり知られるところになっています。
また、陸上400mハードル日本記録保持者のデフリンピアン高田裕士選手(トレンドマイクロ)など、市内小学校や特別支援学校へ授業で訪問し、生徒らとデフアスリートとして直接触れあい地域との交流を深めています。
カシアス・ド・スルへの渡航にむけ、日本からは158名(選手97名、スタッフ43名、本部16名)が11競技に参加します。すでに直前合宿など最終段階の準備が全国各地で行われています。
また、デフリンピックは2025年東京での開催に向け招致活動が行われています。横浜在住の選手、横浜での試合や練習拠点を置くスポーツも多く、この機会に注目を深め、成長、活躍する選手たちを市民の手で応援し、デフリンピック・ムーブメントを横浜の地に浸透させたいところです。
写真取材・協力 内田和稔
パラスポーツを伝えるファンのメディア「パラフォト」(国際障害者スポーツ写真連絡協議会)代表。2000年シドニー大会から夏・冬のパラリンピックをNPOメディアのチームで取材。パラアスリートの感性や現地観戦・交流によるインスピレーションでパラスポーツの街づくりが進むことを願っている。(プロフィール写真:©️Manto Nakamura)