エリアリポート

シンポジウム「すべての人のための 文化施設であるために」第2部 前半

 9月6日、神奈川県民ホール大ホール(横浜市中区山下町 3-1)で劇場運営マネージメント講座「これからのインクルーシブ社会と公立文化施設」第2回として、
 シンポジウム「すべての人のための 文化施設であるために」が開催されました。


20160921170029

平成28年4月に障害者差別解消法が施行され、公立文化施設はバリアフリー対応が必要となりました。この神奈川県民ホールでは、この課題に対して出来ることを考え実践していくために「これからのインクルーシブ社会と公立文化施設」という講座シリーズを実施しています。

第2回である今回は、神奈川県民ホールで全国大会を行った4つの障害関連団体代表者を招いたシンポジウムが開催されました。保安上の理由などから、参加は一部の方のみに限られていましたが、当日の記録を動画と文章にて公開します。

 この記事の前の内容は下記リンク先に掲載しています。

シンポジウム「すべての人のための 文化施設であるために」第1部

 

 

第2部 パネルディスカッション

動画リンク:第2部 挨拶(尾上浩二氏)

尾上氏:

 このシンポジウムの名前は「全ての人の文化施設であるために」です。

文化施設は公共の財産であり、誰もが平等に訪れ、使う権利があります。

 しかし、そこにもさまざまなバリアがあります。とりわけ古い公立の施設では顕著です。障害を持つものが気兼ねなく訪れ、コンサートや舞台を楽しめる環境には、まだまだないところが多数です。

 会場には文化施設を運営する方々・コンサート主催者・行政の方々・障害のある方など様々な方が揃っています。

 このような異なる立場の人が、同じ場に顔をそろえることはほとんどないのです。今日はとても貴重な機会だと思っています。これからのインクルーシブ社会実現のために、ここにいる皆さんが一緒に、歩みを進めていく。それがすごく大切だと思っています。

 今回のシンポジウム、会場の皆さんそれぞれの立場で、これからの社会のヒントを見つけていただける、そのような機会になると信じています。

 パネリストには、今年、神奈川県民ホールで全国大会、県の大会ではなく全国大会を開催した4つの団体の代表の方に来ていただいています。

 私も障害者団体にいますが、やはり全国大会を開くためには地元の取り組みがなければ簡単に開けるものではないのです。それだけ、活発な地域が神奈川県なのだと思います。 

 そのような全国大会の経験を踏まえて、パネリストの方からお話を伺います。実際に県民ホールを使用して、どこにバリアを感じたのか、順番にお話を伺います。

 そのあとに、神奈川県民ホールの担当者から、それぞれの大会で、それぞれの要望にどうこたえ、解決していったか、そのようなことを話していただきます。

 各パネリストに話していただき、1時間ほど、話の続きや深めたいことを話していただきます。一通り話し終えたら、会場の皆さんとの質疑応答を行います。

 

NPO法人EDGE会長 藤堂栄子氏

動画リンク:第2部 NPO法人EDGE会長 藤堂栄子氏

NPO法人EDGE会長 藤堂栄子氏

NPO法人EDGE会長 藤堂栄子氏

藤堂栄子氏 NPO 法人 EDGE 会長
欧州委員会勤務、フリーランスの通訳者を経て現職。還暦後に自身がディスレクシアであることを知る。文部科学省特別支援教育ネットワーク推進委員会、厚生労働省社会保障審議会障害者部会委員、国立障害者リハビリテーションセンター「海外の発達障碍者支援制度情報交換会」の他、内閣府、国土交通省、港区の委員会でも委員を務める。

 

NPO 法人 EDGE

ディスレクシアは読み書きの障害を指し、教育と就労の場面で不利を被ることが多い。 人口の10%はいるといわれるディスレクシアの人たちが本来持っている力を発揮し、生き生きと社会の中で暮らせるよう啓発、支援とネットワークの 3 つの柱を中心に活動をしている。

 

藤堂栄子(以下藤堂氏):

▽全国大会の実施に関して

 皆さんこんにちは、申し訳ないですが、立ち上がったまま話させていただきたいと思います。それは、私にどんな障害があるかというと「じっとしていられない」という障害があります。

 今話題になっている発達障害・ADHD・自閉症・LDなどを含んでいるものなのですが、ディスレクシア・LDの中の読み書きが困難な人たちのアジア太平洋地域の会議、海外のお客さんをお呼びしての会議を、神奈川県民ホール小ホールで行いました。

 マレーシア・シンガポール・イギリス・ハワイ、など様々なところから来ていただいています。華を添えるためにミス日本をお招きしました。英語がお上手な方で、1人1人のゲストにご挨拶をしてもらいました。

 何故、ここで行ったのかというと、私自身が横浜の山手に住んでおりまして、生まれたのは元町でした。孫が生まれたのですが、私もその子に近い大きな赤ちゃんでした。

 あとは、黒岩知事が10年前にディスレクシアに関する番組を作ってくれており、それに出場した4人が揃うということで、こちらで行いました。

 小ホールと展示室をお借りしました。ディスレクシアの人たちは字が読めない代わりに、ものすごく才能として絵画や芸術や発想力など様々なところに能力がある人達であるため、それらを発表する場というものを、使わせていただいています。

 もう1つは、6階の大会議室をお借りして、様々な機器、私達にとって使いやすい機器、頭の連鎖を少し柔らかくしてくれる機器を展示すると同時に、ワークショップを18コマ行いました。大変盛況で、2日間合わせて1000人程が来ました。

20160921170037

 県民ホールを使わせていただいて、感じたことを申し上げます。スタッフの方々が本当に一生懸命やってくださったと思います。古い施設であり、出来ることと出来ないことがあるわけですが、その中でも本当に大変に、私たちのニーズは何なのかを細かく聞いていただけたと思います。

 荷物を入れたり出したりするために、階段にスロープを付けてくださいました。

 実際に参加してくださって、参加している人にもインタビューをしていただき、勉強してくださったのが新鮮な印象でした。

 「事後にこんな改良をしてみました」ということを報告していただきました。それに関しては、また後で話せればと思います。

 良いところは以上です。

 

▽障害と文化施設に関して

私たち発達障害というのは「社会性がない」とか「落ち着きがない」ことや、様々な出来ないことばかりあげつらわれており、本人たちにとって一番辛いことは、感覚の過敏や鈍麻です。

 ご覧のとおり、見た目は健康です。私も60歳を過ぎていますが、内臓系は完璧です。コレステロールや血圧や骨密度など問題なく、骨密度は25歳でした。

 感覚過敏というものはとても辛いのです。私も今、マイクを通した声がかえってきます。そうすると、思考が乱れるのです、今は10分間であるため集中しています。低気圧が来るとやられることもあります。スポットライトを浴びることも、人によっては蛍光灯のちらつきもイライラにつながることもあります。

 そのようなことに関して「まだまだ考えることがあるかな」と思います。アコースティックで話すことも、歌が通るようにできている会場では、私たちの聴覚にとっては辛いものがあるかもしれない、などです。

 

 情報のアクセシビリティということから考えると、私たちは目は見えます。しかし、字を音に読み替えることや意味をとることがとても辛い、ということです。

 利用者に聞いてみると、エレベーター内の表示がよく分からなかったそうです。会場をいくつか使ったため、会場同士がどう繋がっているかも分からなかったとのことです。電光掲示板がありましたが、その表示が分からないとのことでした。

 

入口がいくつかあったため、どこから入ればよいか分からないなどがありました。

非常時の際の説明もされなかったと思います。恐らく普通の方にとっては一目瞭然で「非常口から出ればいい」となると思うのですが、私たちにとっては「何かの時にはこうしてください」という指示があるといいと思います。

 

 私の息子は、ディスレクシアで自閉症があり、ADHDがあり、イギリスに15歳で留学して、33歳になっています。今はシンガポールで建築家をしています。シンガポールでは何が面白いかと言うと、多様性です。

 シンガポールの首相と、その父親で初代首相のリー・クアンユー氏もディスレクシアであるなど、実に多様性や、読み書きが出来ない・言葉が違うなどに関しての対応がされています。

 これはピクトグラムなんですけれども、たばこを吸うと罰金があることや、罰金は無いものの、ドリアンは臭いから駄目、というものなどがあります。

 

▽神奈川県民ホールに関して

 県民ホールの導線に関してですが、大ホールでこれだけの人数が入ることができるとなると、有名人がいることもあるのですが、 ちょうど私達の時はジャニーズの山下智久さんライブがあり、ものすごい数の方がおりまして、移動の際に遠回りをさせられることもありました。

 急に起こったことに対応することが難しい私達にとって「当日ありますよ」と言うことをあらかじめ知っていれば、内々の動線をつくることや、担当者同士で話し合うことなど、対応できたと思いました。

 

 もうひとつ、控室ですが、スタッフ用の控室が確保できなかったため、皆で荷物を抱えながら移動しました。

 上のレストランにイスラム教の方がいらっしゃっており、ハラル食が必要でした。ハラル食の用意があったにも関わらず「ハラル食の用意できますよ」と事前に言っていただけなかったです。普通の料理を頼んでしまっていることがありました。

 

 展示室は倉庫へのアクセスがし辛いことや、指示が分かりにくいことや、用紙への記入が分かり辛かったとかいうことがありました。「私たちにとっては難しい」ということがありました。もう少し後の時間でお話します。ありがとうございました。

 

神奈川県手をつなぐ育成会会長 依田雍子氏

神奈川県手をつなぐ育成会会長 依田雍子氏
神奈川県手をつなぐ育成会会長 依田雍子氏

依田雍子氏 神奈川県手をつなぐ育成会 会長
40代の一人息子は自閉症、誕生当時自閉症はまだ未知の領域であり、福祉の分野でも誤解や偏見が多く、自分で息子の障害を見定めるところから始まり、以来今日まで彼が生きやすい環境を求めて活動を続けている。県育成会の会長は現在9年目。

手をつなぐ育成会
知的障害児者の親や支援者による全国組織で1952年発足。現在全国会員は約20万
人、神奈川約1700人。毎年全国持ち回りで開催する全国大会を、今年は神奈川が県民
ホールを中心に、参加者約2100人で実施。

 

動画リンク:第2部 神奈川県手をつなぐ育成会会長 依田雍子氏

依田雍子氏(以下、依田氏):

▽自閉症に関して

 私のプロフィールとして、息子が40何歳で自閉症ということになっています、というのは、40数年前では、自閉症というものはほとんど知られておらず、専門家にとっても未知の領域でした。

 私は自分で「この人は普通ではない、自閉症だ。」と判断して、自閉症というか、息子の名前をつけて、○○病と名付けていました。いわゆる見かけは普通であるため、小学校の頃に普通校に入りました。

 それは、親が障害の養護学校に入るのが嫌だとかというよりも、きっとこの人が大人になった時に、専門家でも分からないような障害とは、どのようにしたら前向きに理解者がいてくれるだろうという不安が一番大きかったためです。小学校の最初の保護者会の時には「こういう子なのですが、自閉症というあまり知られていない病気であり、見た目は普通だですが、心というか、脳の中に病気があります、よろしくお願いします」と挨拶と了解を得ながら普通校に通いました。

 先程、尾上さんの話でもありましたが、今日は急遽、今日まで考えていた喋るシナリオを変えまして、息子を、小学校だったからなのでしょうが、普通の学校にポンと入れたおかげで、全くバリアーが無かった、とつくづく思いました。

 

▽子供たちと障害に関して

 子どもたちは、自閉症がどうだとか障害がどうだとか、という知識が全然無いのです。

息子を見たままで判断するのです、見たままで判断して、そのままストレートな感情で接します。

 息子は自閉症であるため、じっとしていられず、教室を飛び出すのですが、子どもたちはそれを経験しているため、迷惑だとかなんだとかの前に、自発的に元気な男の子などが、依田依田警備隊というものを彼らが勝手に作って、飛び出していくと捕まえてきてくれるんですよ。

 障害だと分かっていたため、私が待機して捕まえられるように待っていたのです。そのように学校との話し合いもしてきたのですけれども、いつの間にか彼らは警備隊を作っていました。

 彼らは楽しんでいるという感じで「障害があって大変だから助けよう」ということは全然なかったと、尾上さんの先程の話を聞いていてつくづく思います。

 

 中には、なんで彼らは様々なことが分かるのかと言うと、彼らの対応を見ていて私も教わったことがあったりするのです。小学生も少し大きくなると、おませな女の子は世話を焼きたがるのです。そうすると「こっちだよ」と言って手を引っ張っていこうとするのですよ。

 息子は手を引っ張られることや強制されることは嫌なもので、接触とかはあまり好きではないため振りほどくのです。しっかり者の女の子はなんとか連れて行こうとする。

 そうすると、おませな男の子が「○さん、だめだよ、引っ張っちゃ。依田君はそういうの嫌いなんだから」と言ってくれます。私が教えたわけでもないのに、よく見ているなと思うほどです。

 

 なんか面白がって観察しているのか良く分からないですが「依田君はそういうの嫌いなんだよ、手を引っ張っちゃだめだよ、後ろからついていけばいいんだから」と言ってくれます。ちょっと外れそうになると、つんつんと、つついたりします。誰が教えたわけでもないのです。先生方なんて腫れ物に触るような感じなのにです。

 自然に子どもたちはそういうことを学んでいくんだな、ということです。それがバリアがない世界だと思いました。

 

 社会モデルというか、社会的障壁というと、大きくなるにつれて、様々な知識や何かを植え付けられることにより、逆にできてしまうのだなということを凄く思わされました。小学校の頃に普通校に入れて本当によかったと思いました。

 普通校に入れたもう一つの理由としては、普通の子の中で息子が育つということはあるのですが、いずれは特別な養護学校に行かなければいけないかもしれないです。

しかし、少なくとも小学校の頃だけでも普通校に通っていると、一緒に育った子達の中で様々な仕事で働く人がいるでしょうが、その人たちの中で大人になって仕事をしたときに、障害のことや何かでトラブルや問題が起きた時に「そういえば、小学校の頃に依田君とかいう変な子がいたな、すぐに校舎のてっぺんまでのぼっていったり変わった子がいたな」と思いだしてもらえれば、それで仕事に活かしてもらえればと思います。

 見た目は普通の顔つきで、見た目は普通ですが、少し自分たちとは違う人がいるということを気付いてもらえればと思います。

 そういうことも大事なのだな、ということを、普通校に小学校の頃に入れることで、子どもたちが大人になったときに思い出してもらえればと思います。

 

 あの小学校6年間は、息子にとってはバリアが無かったのだな、とつくづく思っております。

 このような話をするとは思っていなかったですが、社会的バリアのお話が出た時に、これをお話しなければならないと思いまして、予定していた内容とは違いますが、お話しました。

 

▽神奈川県民ホールを使用した感想

 ホールを使ってみての感想として、私たちは親の会であり、当事者の会も並行して開催しましたが、親たちは本人たちを知っていて引き連れているため、トイレやエレベーターでも「あっちよ、こっちよ」と言ってしまうため、このホールの使い勝手に関する意見は聞いていないです。

 時間もかかるため、その辺りの話は後でできればと思います。

 しかし本当に、バリアというものは大人になるにつれて、お互いに作ってしまうものなのだと思いました。良い機会だったため、話させていただきました。

 

神奈川県肢体不自由児者父母の会連合会会長 石橋吉章氏

神奈川県肢体不自由児者父母の会連合会会長 石橋吉章氏

神奈川県肢体不自由児者父母の会連合会会長
石橋吉章氏

 

プロフィール:

神奈川県肢体不自由児者父母の会連合会会長 石橋吉章氏
 1980年に川崎市多摩区肢体不自由児者父母の会会長に就任。現在、多摩区、川崎市、神奈川県肢体不自由児者父母の会の会長を務め、全国肢体不自由児者父母の会連合会の副会長も務める。川崎市福祉のバリアフリーまちづくり連絡協議会委員、神奈川県社会福祉協議会理事。
神奈川県肢体不自由児者父母の会連合会
肢体不自由児者の生活環境の向上に向けて、機関誌「かながわ県肢連」「かわら版」の発行、研修・学習会の開催、行政に対する要望等の活動を行っている。また、ハンドアーチェリーや研修会を介して、肢体不自由児者の親が一つになれる活動を積極的に続けている。会員の高齢化や、若い世代の未加入による、会員数の減少が課題となっている。

動画リンク:第2部 神奈川県肢体不自由児者父母の会 連合会会長 石橋吉章氏

石橋吉章氏(以下、石橋氏):
 まず肢体不自由というものは、以前は高熱で脳を侵されて、肢体不自由になることが1つのパターンでした。もう1つは薬の薬害で、肢体不自由になることが多かったです。
 最近は、出産で産道を通る時に脳に圧迫を受けて障害を持たれる方が多くなっています。
 多くなっているというよりは、昔からいたのですが、今の医療技術が発達し、命が助けられて、その後地域で生活する傾向が多くなっており、そのような子供を持つ親の会です。

▽神奈川県民ホール利用の背景

 何故この場所を選んだかということは、実は関東甲信越という私たちのブロックは一都九県で構成されています。
 信越と言えば新潟、西に行くと長野、東に行くと茨城、東京が核になりまして、一都九県で構成されているため、10年に1度は必ず当番が回ってくるのです。
 これまで、交通アクセスがあまりよくないことと、必ず分科会をやるということから、宿泊施設がなければ、中々大会を開催できないのです。
 なぜか神奈川県に当番が回ってきますと、主催県が「ここがいい」と言っていても、全部関東甲信越の会長会議で「箱根がいい」となるのです。
 回数を紐解いていくと、1966年ごろから始まり、5回開催し、全て箱根です。それも箱根小涌園です。
 今回の全国大会の当番になるにあたりまして、この辺りは宿泊施設がないということで、ではどうしようかということで、神奈川県では1000人近くの方がお集まりになるということでした。
 現実に、7月の30・31日には、来賓・ボランティア含め、1200人程の方がお集まりいただきました。
 もう一つは宿泊施設が分散してもいいから、どこかにないかということで、その1000人というキーワードと宿泊というキーワードで探すと、県民ホールしかないということで、
最初からバリアフリーになっていないということは重々承知の上で、ここに決めました。
 重々承知の上ということは、万が一尾上さんに講師をお願いして、OKと言われた際には電動車椅子をどのように上げようかということを、一番先に思いました。それで「県民ホール並びに、県議会・県行政、こんなに不便な県民ホールは無いのだから、何とかしてください」というお話をして、そこのところは少しずつ見えてきて、階段昇降機が設置されました。
 設置されなかったらどうするのか。それはもう他で経験していますから、人力で上げる他仕方がないということで、元気の良いボランティアを集めようとしていました。

▽神奈川県民ホールを使用して

 依田さんは先程言われていましたが、親の会であるため、このようなホールを利用するにはまったくもって素人です。
 まず会場を予約するということが先決であるため、それも全国大会ということになると、47都道府県全てに事前にお知らせしないといけないため、2~3年前からお知らせしていかないといけないです。参加する方々の準備という点で考えますと、それほど前に予約します。
 予約をするときに詳細を決めて予約するのですが、そのようなことは言っていられないため、まず予約をする。
 それから素人集団の大変さが多々ありました。県民ホールのホームページを見てみると、「詳細な使用にあたって」という案内がありませんでした。
 様々な約束事があるということも、お話を詰めながらですが、それから貸す側の時間制約もあるため、そこの折り合いをどのようにするか、ということがありました。
 打ち合わせの時にもう少し、貸す側が「逆にこういうことを聞きたい」ということを事前にお知らせいただきながら、それに対して「こういう風に考えていますけれども、いかがでしょうか?」という様なやりとりがもう少し、時間があったにも関わらず出来なかった。それは私どもの方も、慣れていなかったと言えば、そのようなところは今気づいております。
 また、会員というよりは、親子でやっている方は、更に関わりが薄いため「このようなシステムになっているよ」と言う前に一般的なシステムが分かっておりません。手伝っていただく方々は入ってておりますし、また地域での公的な施設との関わりは、地域で活動しながら関わっていますから、県の施設となるとほとんど初めてであり「県はどうなっているの?」というところをほぐしていかなければなりませんでした。 
 私も川崎市多摩区に住んでおりまして、多摩区にもこのようなホールがあります。そこで年に1度ホールを使って、障害者の啓発活動ということでお祭りをやります。
 「反響板を使う」と軽々しく言ったために「1時間、時間が必要になります」となり「反響板とは天井から下ろしてくるものなのか」と初めて知りました。
 その間に、1人もその下に入ることが出来ないということは、安全上当たり前なのですが、その様な舞台上のことや裏のことまで、中々素人には分かりません。
 そのような意味では、これから万が一使うという時に、10年後に私が使うということはないため、申し送りをしていいのか分からないですが、そのため、事務方よりも裏方との打ち合わせをもっとすべきだったと思いました。
 あとあと大きくなればなるほど、安全上の問題が大きくなります。私どもは7月30日に開催したため、7月26日の相模原の事件の影響が無かったわけではないのですが、警備という意味では影響がありました。
 しかし、(県民ホールから)事前に神奈川県警に相談していただき「このような大会を行うため、車椅子の数が相当の台数になるため、よろしくお願いします」と伝えたところ、県警から私服警官を配置していただくなどの配慮をしていただきました。
 ある意味では、そのような配慮は頭から考えてもいませんでした。そのような意味ではありがたかったと思います。
 細かなところですが、時間が無い中で、ぎりぎりで様々なメニューを押し込もうとすると、県民ホールは使い勝手が悪かったです。
 地元ですと、普段から活動して付き合いがありますから「10分早く開けましょう」となります。
 ここはイーブンですから、9時となると、9時にならないと開かないのです、ということが一番困りました。以上です。
尾上氏:
 どうもありがとうございました。大会を開催するうえでどのような苦労があるかということが、よくわかりました。ホール側からはどう見えていたかという話も含めて、お話を聞きたいと思います。
 次に話していただくのは、神奈川県聴覚障害者連盟理事長河原雅浩さんです。
 第1部から手話通訳をつけていただいています。これから河原さんに手話で話していただきますが、舞台の前で座って、河原さんの手話を読み取って、音声言語に通訳をしていただきます。
 手話というのも言語、言葉というのがよくわかります。

神奈川県聴覚障害者連盟理事長 河原雅浩氏

20160921170046

神奈川県聴覚障害者連盟理事長 河原雅浩氏

プロフィール:
河原雅浩氏 神奈川県聴覚障害者連盟 理事長
生後数カ月で失聴。民間企業勤務を経て 2000 年から神奈川県聴覚障害者連盟理事、2010 年から神奈川県聴覚障害者連盟理事長。現在、公益社団法人神奈川県聴覚障害者協会事務局長も務める。
神奈川県聴覚障害者連盟
神奈川県内に居住する聴覚障害者の内、手話を使って日常生活及び社会生活を営んでいる人々の団体。会員数は約 900 人。会員相互の親睦を深めるとともに、聴覚障害者と手話についての理解の普及を進め、社会のバリアをなくし、権利が保障され、安心して生活できる社会の実現を目指して様々な活動を行っている。また、一般財団法人全日本ろうあ連盟の加盟団体として、全国の加盟団体とともに活動を行っている。
動画リンク:第2部 神奈川県聴覚障害者連盟理事長 河原雅浩氏
河原雅浩氏(以下、河原氏):
 私は立ってお話したいと思います。というものは、聴覚障害者の会議の際は、このような場所で話すときは、立って話すという習慣がついています。何故ならば、手話は見てもらわなければなりません。手話が見えないといけませんので、見やすく立って話しています。
 それともう一つは、誰が話しているのかが、皆座っていると分からないのです。それで立ってお話します。

▽聴覚障害とは

 聞こえない人たちは様々な工夫をしています。時間が短いため、分かってもらいたいことを中心にお話します。
20160921170048
 聞こえないとはどのようなことか、1つには外見で見ただけでは分からないのです。その中で、よく誤解がされるかもしれません。
 音が起こっても聞こえないのです。声を掛けられても気付かず「無視された」と思われることがあり、それでトラブルになることもあります。
 2番目が、体験しにくく想像することが難しいです。
言い方が悪いのですが、車椅子や視覚障害などの場合には、自分で車椅子に乗ってみることや、アイマスクをつけることで体験でき、大変さが分かりやすいかと思います。
 しかし聞こえないということは分かり辛く、耳を塞いでも音は少しは入ってきます。そのため、聞こえにくいということは出来るのですが、実際どうなっているかは分かり辛いと思います、体験は難しいと思っています。
 3番目として、誤解がよくあるのですが、高齢になると耳が遠くなります。それと同じように思われる方がいます、耳の近くに来て大きく話す方がいます。それでは困ります、そうではないのです。聞こえないということは耳が遠くなることとは違います。
 そのため、そこを分かってもらいたいと思います。
 4番目は聞こえないことから生じる様々な問題があることです。聞こえないだけではなく、聞こえないことから生じる様々な問題があります。
 聞こえる方は、聞こえる方達の中に生まれてから、様々な声を聴いて、大きくなっていきます。
 しかし、聞こえない方達は耳から情報を得ることが出来ないのです。それが1日2日ならまだしも、10年20年と経つと、耳から入ってくる情報が蓄積されるということはとても大きなことだと思います。そのため、耳から聞こえてくる情報はとても大事なものなのです。
 そうすると知らないことが多いのです。そこで「どうしてなのか」「常識がないのか」など誤解に結び付いていく場合が多いです。
 それがトラブルとしてだんだん大きくなっていく場合が多いです、きちんと理解していただきたいと思っています。
20160921170049
 一口に聴覚障害と言っても、手話を使って生活している人もいます。小さな頃から耳が聞こえなかった人達です。手話が分からない人達もいます。
 それは難聴者や中途失聴者です。初めは聞こえていて、病気やケガで聞こえなくなってしまった人です。そのため、そのような人達は全く手話は分かりません。そのため筆談やOHPなどで情報を得ています。
 視覚障害を併せ持っている方もいらっしゃいます。他にも、聴覚障害と知的障害を併せ持っている方もいます。聞こえないということも様々な方がいるということです。
20160921170050
 コミュニケーションの方法と言っても、様々なことがあります。まず手話です。
 手話を使うということは、聞こえない聴覚障害の人の中でもはっきりとした数字は出ていないのですが、約17~18パーセントと言われています。他の8割の人は手話を使っていません。そのため「聞こえない=(イコール)手話」ではないということを承知していただけたらと思います。
 手話以外の方法としては、筆談があります。
 ただ、手話を使っている人の生活言語は手話であるため、筆談では日本語で書くことになります。皆さんに英語で書いてくださいと言うと難しいようなものです。
 書いてください、と言われても書くことが難しい人もいます。そのような人の場合は、書く時に、短く、分かりやすい文章で書くなどの配慮をお願いできればと思います。
20160921170051
 あとは口話、口を読み取るものがありますが、昔の障害者に対する考え方から始まっているものです。「障害は悪いことだから、障害が無いように、健聴者と近づけるようになる」という考えで行っています。それで口話教育を行ってきました。
 今でも、私達として口話というものはあまり良い印象がないのです。手話も分からない・紙も無いという時は、やむを得ず口の形を一生懸命読むこともあります。毎日会っている人の場合には、まあまあ効果的なのですが、初めて会う人にはほとんど役立っていません。
 口話だけでは間違いが多いです。そのため、大事な会議の場合に手話が出来ない場合は筆談で行っています。 あとは空書という方法があります。本人が何を求めているか、1番に考えているか、本人が何が良いかと思っているか、考えてもらいたいと思います。

20160921170052
 本人について何がいいか、本人に聞いてもらったうえで考えてもらいたいと思います。
1番いいことは、一生懸命気持ちで通じようという気持ちがあれば最後には通じると思っています。やはり気持ちが大事だと思います。
20160921170053

▽聴覚障害により困ること

 今お話しているように、聞こえないと困ることというものは2つあります。音声による情報が入らないことが1つです。
 皆さん、普段話していなくても、ところどころで自然に入ってきます。このホールでは「開場まで3分前です」という音声案内などです。
 開始前に音が鳴りますが、それは聞こえません。その代わりにお願いしたことが、照明を1回点けて消すことです。そのようにしてもらえれば、聞こえない人にも分かります。そのようなことをお願いしました。
 他にも様々なところで情報が多く入ってきます。
 それが入ってこないため、大きな問題です。目で見ることや文字で見ること、などのコミュニケーションを変えてもらえば分かると思います。
20160921170054
 2つ目は、健聴者と音声でのコミュニケーションが困難であることです。私達として、大きな壁です。はっきり見えるわけではないですが、目に見えない壁です。
 人間は1人では生きていくことが出来ません。社会の中で様々な人とコミュニケーションをとって生きていきます。
 コミュニケーションをとれない為に、社会的参加が出来ないという状態があります。その場合困ることが、たくさんあります。
 災害の時にとても困ります。何か起きた時にどうしたらいいのか、情報をつかむことが一番大事です。しかし、聞こえない人の場合は情報をつかむことが出来ません。その為に、最悪の場合亡くなってしまうこともあります。東日本大震災の時、逃げ遅れて津波で亡くなった人もいました。
20160921170055
 様々な誤解があります。聞こえない人の中には、声で上手にお話しできる人もいます。聞こえないにも関わらず、話すことが出来ているから聞こえていると思われることもありますが、時間がないためあとでお話します。筆談も上手に出来る方もいますが、日本語が苦手な方もいます。
 様々な方がいるため、お話したいと思いますが、時間が無いため、後でお話しします。簡単ですが、ここでお話を終わりにします。
尾上氏:
 今まで、これまで4名の全国大会をされた方、ユーザーの方にお話していただきましたが、半年で4つの全国大会を行うなんてすごいです。
 その担当をされたホールの駒井さんからお話を伺います。この施設の運営担当として、それぞれの団体代表者と打ち合わせをしています。
 実はこのシンポジウムも、やりっぱなしで終わらせたくないというか、全国大会というたくさんの障害者が来るわけです。ある種の社会実験になるわけです。
 大会ということはもちろんですが、コンサートや様々な劇や、様々な人が来る場所ということで役に立つ。そのようなわけで、駒井さんから話していただいて、その後にユーザーの4名の方にお話しいただければと思います。

神奈川県民ホール施設運営課 駒井由理子氏

神奈川県民ホール施設運営課 駒井由理子氏

神奈川県民ホール施設運営課 駒井由理子氏

動画リンク:第2部 神奈川県民ホール施設運営課 駒井由理子氏
駒井由理子(以下、駒井氏):
 本日、パネリストで会館の者が登壇することは最初全く考えていなかったのですが、
予約のお電話を受けるところから、石橋さんが仰っていたように警察に電話することなど、2年間担当していたということから、本日登壇しました。
 まず4団体分のご紹介をしたいため、スライドを元に10分ほど紹介します。その後に、皆様とディスカッションをしていければと思います。

▽問題解決のプロセス

 まず「何がバリアになるのかを知る」ここが私たちの一番最初のところでした。そこから始まるところでした。
 今までも、障害を持っている方がいらっしゃった時に、断ることをしないということはもちろんなのですが、あくまでもバリアを持っている方を前にして「この人の為に何をしたらいいだろう」と、その場その場の対応でしか行ってこなかったことが現実だと思っています。
 たくさんのことを、行わなければならない時に、さあ何から始めようという時に「どこに聞こう?誰に教えてもらおう?」と思いました。
 しかし、自分で調べてみると決して良い例は無かったのです。「例が無かった」ということ「これが全て100点の答えであるというものが無い」ことは、これからのディスカッションを通じ聞く皆様に伝わっていくことだと思います。
 それでも何か変えていかなければならないということで「こうやってみました」というものを紹介します。
 まず「何がバリアになっているのか」を知るということです。
尾上氏がいらっしゃった際に、バリアチェックを受けるという貴重な機会を得ました。尾上氏が車椅子でいらっしゃるため、車椅子の視点でのチェックになるのですが、尾上さんは幅広く障害に関して考えていらっしゃるので、様々な視点からバリアチェックをすることが出来ました。そして、私達職員が体験すること、これも非常に重要な点です。
 もう1つ、情報を仕入れるということ、勉強するということです。様々な方法で勉強しようと思いました。横浜ラポールや神奈川県聴覚障害者福祉センターや福祉機器見本市に訪れ、どのような機器があるかを知り、どのようなことに困っている人がいるのかを知ることなどです。。
 そして一番大事なこととして、当事者の話を聞く、ここが一番大事なことだと思っています。
20160921170100
 ここまで頭の中できれいになったものは、後半なのですが「導入できた・導入できない」ということをどのように進めてきたか振り返って考えると、途中からはこの順番で全てを考えるようになったという1つの例なのです。

  1. 問題点を抽出する
  2. 解決策の検討
  3. 案の絞り込み・代替案
  4. 導入できる/導入できない

「問題点を抽出する」ということは、先程言ったように指摘を受ける、バリアチェックを受けるということです。皆さんから、ここが悪い、あそこが悪いと指摘していただくことです。
同時に大切なことは、職員が体験してみることです。障害があったら、何が自分が怖くなるかとイメージを膨らませることは問題点を見出すときに重要です。
 イメージを膨らませると、館の者しか出来ないことがあると思うのです。それは、館を管理しているということで津々浦々、施設を統合的に考えることが出来ると思うのです。
 このようなことは、すごく大事であったため、皆さんも館の中を車椅子で回ってみてください。
 あとは「解決策の検討」です。これはまず、全ての案の提出を行います。これは「ここに平台おけばいいんじゃない?」という現実的なものから、もう夢の機械、ドラえもんのポケットから出るような「こんなものがあればいいのに」と思うような事もあります。
 荒唐無稽なことまで、あらゆる案まで絞り出すということをいつも楽しみにしていました。
 その中から、全てが障害を持つ方のための施設ではなく、それを行うことで通常の方が利用できなくなるということは何かが違っており、それを置くことによって周りにどのような影響が起きるだろうかを考えます。
 
 そして、導入するまでの期間は十分か、全然時間がないのか、なども大事です。解決策の検討にとって、予算も大事でした。そのあと、解決策の絞り込みや代替案の検討を行いますが、様々なものを出した中で案の絞り込みを行います。
 その時には見学・勉強・ヒアリングというものが、絞り込みと代替案を出すことに大事だったと思います。そのように決定して「導入した、・導入できない」となるのですが、①②③④の全てにおいて、当事者の方に相談し、報告します。
 とにかく当事者の方に報告して「相談して、報告して」を繰り返していかなければならないということが、非常に思っていることです。
 導入出来たとしても、出来なかったとしても、そこで課題をまた発見して次の課題が生まれ、終わるということはありません。
 これらが私たちの解決のプロセスになります。他のところは、大会ごとに、サッと話していこうと思います。


▽NPO法人EDGE利用時の対応

20160921170101
 まず、藤堂栄子さんのディレクシアの大会の際に「アンケートをさせてください」とお願いしました。快く受けていただいて、藤堂さんが主催者でお忙しいので、事務局の方が対応してくださいました。
 私が「このようなアンケートを配りますが、よろしいですか?」と尋ねた際に「いい?すごくダメ出しするからね」と言われました。
 何度も何度もダメ出しを受けまして、何度も小ホールのロビーに通って、指摘を受けて変えていきました。それが、見やすい・答えやすいアンケートの作り方です。
 ご指摘いただいた方が、教育支援を行っている方で、ディスレクシアや発達障害などの教育支援を行っており、そのような観点からご指摘いただきました。話す時間があれば、話せればと思います。

▽神奈川県手をつなぐ育成会の対応時

神奈川県手をつなぐ育成会の対応をさせていただきましたが、初めてのことや場所に不安な方がいるということをお伺いしました。
20160921170102 20160921170103
リハーサルなのですが、端折ればいい、ということを私たちがつい言いがちなのですが、本番と同じ時間をかけて同じ場所で行わなければいけないということを依田さんからお伺いしました。
 あと客席やロビーの課題・トイレの課題というものも、もちろんあります。
 なるべく同じように同じことを心がけるということを教えていただきました。
対応をどうするかということで、開館時間を早める事や舞台仕込みに関して、壇上で舞台スタッフが話し合い、舞台を2分割して使うなどの工夫をして、時間を短縮しました。
20160921170104
 あとは客席ロビーは落ち着くことが出来るように、予定外の要素を減らせるように、ということを教えていただきました。
20160921170105
 扉の開閉のスタッフを付けたり、ちょっとした閉じられた空間をロビーの片隅に作ることなどを教えていただきながら、行っていきました。
 全てにおいて、全スタッフが情報共有することです。異性のトイレに入ることがある時に、スタッフが止めてはいけないことなどに関しても情報共有しました。
20160921170106
 たくさんの方に来ていただき、不慣れなこともありまして、目に見える地図というものを作りました。
 出演者の方向けに、車椅子でどのように楽屋に行くと良いか。そして、楽屋のトイレは入ることが出来ません。だからロビーに戻ってくださいという案内をしました。こちらの内容は、内側の動線になるため、ホームページで公開していませんが、来館者の方向けのものはホームぺージで公開しております。
 この際に写真と単純明快な矢印など、そのようなことが非常に有効だということが、様々な方に、たくさんの方に見ていただき、様々な意見をいただいて作ってみてはいますが、これで100点だとは決して思っていないです。


▽神奈川県肢体不自由児者父母の会対応時

 あとは石橋さんの大会は40年前の建物で、バリアだらけの大会だったかと思います。
20160921170108
 元々バリアフルである会館だと分かっていたため、石橋さんからの指摘が少なかったのですが、私たちとして、明らかに足りないところを書きだしました。
20160921170110
 まずは、尾上さんが仰っていたリフターです。そして、スロープです。藤堂さんが仰っていた小ホールと階段のスロープで、荷物を運ぶものとして、よく使ってもらっています。実はこちらは「避難経路の確保」「避難経路を1個でも多くするために」という意味で重要視して購入したものです。
 県民ホールとしては、スタッフの増員ということを、どの大会でも多く行っています。
20160921170111 20160921170112
 エレベーターは少なく、輸送能力も少ないです。スライドでは、台数・輸送能力を増やすという表記をしましたが、このような表現をしたことは後で説明します。
 車椅子対応トイレも少ないですし、どうやって60~70人の車椅子用トイレを用意するか考えた際に「空き状況をスタッフが把握し、伝達・案内」を行いました。

▽神奈川県聴覚障害者連盟対応時

20160921170113 20160921170114
 河原さんが仰っていたように、気付いてみると音でしか案内していないものが多くありました。
20160921170116
 非常放送、こちらがまず頭に浮かぶことです。
 そして、影アナ、公演開始のベルです。ベルはロビーと客席にあるのですが、それではどうしたらいいかということで、非常放送や影アナは文字情報として、スライド投影やデジタルサイネージでお見せします。
 公演開始ベルは客席照明のあおりや手話に変えました。あおりは、照明さんに協力してもらいました、少し試してみます。公演開始ということを皆さんに伝えます。
(客席照明が一瞬暗くなり、元に戻るを繰り返す)
 ホール内はこの様な照明で対応し、ロビーはスタッフが手話で対応しました。
一部をお見せするだけなのですが、スライドの文字情報で非常のお知らせを準備しました。
 手話。手話と言ってはいけないと思うのですが、視覚で伝えるコミュニケーションを、身につけようという講座を開き、耳が聞こえないということの基礎知識を身につけ、手話の学習を行いました。
 手話はたどたどしいものでしたので、次の段階として筆談ではどのように書いたらいいかを学び、館内マップ、ピクトグラムで描いた地図を携帯して、指で指すことができるようにしました。
20160921170117 20160921170118
 あとは今日も行っていますが、手話通訳・要約筆記の配置、磁気誘導ループの設置、舞台設営の打ち合わせなどを行いました。
 舞台設営では、河原さんの大会では舞台監督も聞こえない方だったため様々な心配をしていたのですが、プロ同士は通じており、あまり手話通訳の方は活躍するところがなかったです。
 恐らく、当館の舞台スタッフは外国のスタッフと仕事することが多く、恐らくその経験で上手に出来ているのだと思います。

▽最後に
 今考えていることは、平等に100%の幸せをここから、皆さんが得ていくためにはどうしたらいいかということです。
 そしてここは公共ホールであるため、パブリックであることとは?誰相手なのだろう?ということです。
 目指すところは「全ての人のための文化施設であるためには」ということです。これから始めていきたいと思います。以上です。
尾上氏:
 「4つの大会を開催するために、どのようなことをしてきたか」を分かりやすくまとめていただきました。
 全国大会というものは、たくさんの障害がある方・その家族が集まる機会であり、そのような場はそんなには無いだろうと考えます。
 様々な課題が見えて、社会実験というか、何が出来て何が出来なかったかということを、別に県民ホールの対応を批判するとかそのようなことではなくて、むしろ今日来ている方と一緒に課題の確認をしていくことです。
 
このシンポジウムの続きは下記リンク先にて公開しています。
シンポジウム「すべての人のための 文化施設であるために」第2部 後半